ペチのアメリカ生活雑記帳

ほんの数年の息抜きの予定だったアメリカ生活… 気がつけば、在米歴20年を超える月日が流れていました。 私のブログは、基本的に、日本の家族への生存報告です。 お菓子作りのこと、クラフト、語学の覚書、日記、ひとりごと、食事記録、旅行日記その他、思いつくままに書いています。 よろしければコメントください。

あらま、あたくしとしたことがおはしたない言葉使い、失礼
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中学生くらいの時からかな、自分のことを「おいら」と呼ぶようになって、思いつく限りで一番乱暴な投げやりな男言葉で家族と会話をするようになったのは

決して、決して、どう逆立ちしても、「お上品」という言葉が似合わない母ですら心配になったらしく「あなた、外ではまともな日本語が話せるの?」と私に向ってきいてきたのは確か私が大学生くらいの時。

私の生い立ちや境遇を知らない周囲の人間は、なにをどう間違えたのか、私のことを「お嬢さん育ち」だと思っていた頃のこと。

まあね、会社では、「課長、アールグレイティー、お召し上がりになります?」みたいなこと言っていた気がするが。あれ、日本語忘れてる、召し上がり…だっけ、お召し上がり…だっけ、割に親しい奥様方(母世代)の会話だと「召し上がる?」だったけど、

まあね、親への反抗もあるけれど、この内面と外面のギャップをどうにかしたいというのが、あのような言葉遣いになったのではないかと思うが。

この分裂状態は今でも続いているゆえに、同じブログの同じページ内で、「ですます調」と「である調」をまぜこぜにしている私。

基本的に、ものを考えてひとりごととして吐き出すときは「である調」 、考えたことを、ブログで正式にアップしたい気分のときは「ですます調」、完全な自己卑下状態のときは、「どうせね、おいらなんかね」の「うんにゃあ節」

あれ、靴の話をするはずだったのに。
周りには、「一万円以下の靴は履かないの」という人は何人かいた。かたや「きゃあ、これ、安い、1500円よ。買っちゃおう!」と特売に目の色を変えるお嬢さん育ちの友人もいた。
私の高校~大学~OL時代の靴の相場は3000円~9800円。学校用の通学靴は親に買ってもらえた高校生時代が一番高い靴を履いていた気がする。

新しい革靴は足が痛くなるから嫌いだし、「靴は穴があきはじめた頃が一番履き心地が良いの」と嘘吹いていた時代もあったが、これは、雨降りによそ様のお宅にお邪魔すると大変なことになるということが発覚してから、穴があいた靴は涙をのんで捨てるようになった。

ヒールのあるステキな靴は、「いいな」「すてきだな」とは思うが、大学生になって5cmくらいのヒールを履くようになった春、両足を続けざまに捻挫して以来、あきらめた。いや、こけっとヒールから落っこちちゃってね、ま、このときは転ばなかったとは思うけれど。

ぺったんこの靴を履いていて、道の真ん中や電車の中でよくすっころんだ、とっても恥ずかしい日本のOL時代。

はて、私が一万円以上する靴を買ったことってあったっけ?
あ、スケートシューズとか乗馬用の長靴は別格だけど…

んな私が、仕事用に買った(買ってもらった?)二万五千円だったか二万九千円だったかの靴。

じゃーん!
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そいういえば、大学生の時に買おうとした登山靴もそのくらいの値段だったっけ?あ、この倍だったっけかな。あまりの重さと履き心地に悪さに買わなかったけど。 

ま、この靴なら怪我することはありますまい。
って、買ったのは去年の秋の話です。
釘を踏んでも怪我しないようにって。 
あ、靴袋は自作。  

釘は踏まなかったけどね、ヘルメットかぶった頭の上をビスが直撃。スコーンっていい音立ててました。


写真は前回のSF空港の続きと
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 ショコラティエ(チョコレートのお店、もしかしたらマカロンだったっけ?)なんだけど、ガラス越しでよく撮れなかった

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あとは、立ち寄ったホテルのロビー。ホテルチェーンとしては一流だけれど、カウンターの短い、カジュアル系のビジネス客相手っていうクラスのホテルと思う。ま、こういうところでも、うっかりすると一泊100ドルから200ドルくらいはするけれど。
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ブログをお引越しした理由は、仕事とかプライベートのことも、ある程度、書いていこうかなあって思ったからだけれど、さすがに、リアルタイムの仕事の内容は書けないから、5年とか10年くらい前の話を載せようと思いつつ…やっていないが。

で、これは、仕事の内容は省いたリアルタイムというか、ここ数年の話。
仕事絡みで、ごくたま~に、コンベンションと言われる業界会議みたいなのに出席させてもらったり、別の仕事絡みで社外の人にお会いすることがあるのだけれど、そういう時に感じるのは、この国の若い底力。

アメリカという国はもう決して若くはない。アメリカン・ドリームも、いまや過去の話となりつつあると言われているし、移民問題と貧困問題をかかえ、お金持ちはどんどんお金持ちになり、貧困層は永遠に貧困層のまま、間に挟まれたミドルクラスはどんどん生活しづらくなり、数が減り、がんばって上に這い上がるか、下に落ちていくか、とくに、日本語のミドルクラスに入るかどうかの境目の、ブルージーンズをはいての労働者階級なんだけれど、快適なアメリカンライフを謳歌していたクラスの人間が、このご時勢暮らしていけないと、トランプ大統領支持に走った…

閑話休題

とにかく、住んでいると、悪いところばかり見えてくるのだけれど、この国に活気を与えているのは、若い才能と、それを伸ばすシステム。アカデミア(大学・研究機関)の役割が研究に留まらず、その技術を使った実用化や起業にまでつながっているところにあると思う。

まあねえ、会う人会う人、「僕、PhD持っています」っていう北カリフォルニアが異常っていっちゃえばそれまでだが。

あ、もちろん、わたくしめはそんなもの、持っておりません。ただの、無価値なダブルマスターだけです。

もちろん、ほとんどのPhD保持者は、比較的裕福な家庭に育って、親にそれなりの援助をしてもらって、一流大学を出て、数年の社会経験のあとで学校に戻ってPhDをとるか、あるいは、学卒でそのままもう4年くらいくっつけて、Drの称号をもらって…場合によってはその後にロースクールに進んで、弁護士資格を取って特許弁護士になったりしているが、すくなくとも、ハイスクールまで普通に行かせてもらえる家庭に育っていれば、そして、本人に才能があれば、奨学金その他の制度を使って上の学校に進むことは可能である。(実際には、そういう「僕、苦学生です」って人の話はあまりきかないけどね)
苦学生とは言わないまでも、大手の企業に入ってから、社内の教育制度とか授業料補助制度を利用してMBAをとったとか、そいう話はときどききく。
まあ、家が裕福でない人が上の学校を出るのに一番手っ取り早いのは、高校卒業後にミリタリー(日本語にすると軍隊?なんかニュアンスが違う)に入って、基礎トレーニングの後、数年間、兵隊さんをして、でも、大きな戦争がない時だったら、オフィス勤務とかも多くって、その時にいろいろ学ばせてもらっているみたいで、その後に、退役して、奨学金をもらって、大学ー>大学院といき直すケースが一番多いみたいで、これはけっこう周りにいる。

ただ、はじめっから士官学校に行くようなタイプだと、そのまま企業の課長、部長職につくことがおおいけど、普通は、技術力をみにつけて、学卒、あるいは短大卒のエンジニアリングサポートって仕事が多いみたいだけれど、でも、稀に上に行く人もいる。

あ、また、話がずれた。
数年前、仕事で訪れたスタンフォード大学の医学部の教授が、自慢げに、うちの大学は、研究を研究だけにおわらせずに、社会で生かせる技術として使っていくことが大切と考えていましてね、教授の○○割(かなり高い割合だった)の人は、実際に自分で起業して会社をもっているんですよ。あそこの研究棟では…
と説明してくれたことがある。

とあるコンベンションでは、まったく別の業界で、「これはアイデア!」としかいいようのない手法で、「この方法を利用すれば、お金をかけずにクラウドの力で古文書の解読ができるんだ」とかその他いろいろ、「ほほう、頭の良い人達っていうのは、ほんとうに、頭のよいお金のもうけ方(使い方)を考えるものだ」と感動するようなプレゼンをしていた。この時、嵐がきていたとかで飛行機がとばなくて、実は、この講演者、コンベンションの会場にこれなかった!
んで、なにしたかっていうと、ビデオカンファレンスで、でも、すごっく迫力のあるプレゼンになっていた。

先日も、同じような経験をした。とにかく「すごい!」のひとこと。アイデアで、技術がかわる、発明がなされて、特許になって、実用化されて、それが社会の仕組みすら変えかねない…

まあね、これは光の部分であって、影の部分は、実用化できそうになったとたんに、特許とその侵害をめぐる裁判沙汰になって弁護士が活躍する世界でもあるんだが…

でも、PhD保持者達が、目をきらきらさせて実用的な研究に打ち込む姿って言うのはすごいと思う。