昨日のひとりごとの続きです。
写真はABCさんのサイトからお借りしました。
私が車の中から見たものは炎が車の内側に見える程度だったけれど、で、横からこれ見ててっきりバスだと思い込みましたがRVだったというもの。
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昨日同僚と話したのですが、私よりも5分後に会社を出た同僚は、なぜかハイウェーの入り口がすでに閉鎖されていたそうで、一般道の渋滞に3時間近くつかまったそうです。火事で危ないので、念のためにハイウェー101は全面通行止めになったらしいのですが、これ、あきらかに誰かが閉鎖する入り口を一箇所間違えましたね。私の場合、ハイウェーに入って、前方に煙を見て、反対車線で燃えている車のわきを通って南に抜けることができました。昨日も書きましたように、この北側は通行止めだったので、後からは車が一台もきませんでした。

で、昨日、生霊がなんだって書きましたが、本当にネットで検索した様々な現象のうち、「うつ状態になる」以外の身体症状と家の状況、ガーリック臭、その他、恐ろしすぎるほどにぴったりで、おまけにこれには後日談があって、翌日、とある場所で、また同じにおいをかいで...またちょっと肩がしくっとして、この時、同時進行で生霊と対象とおぼしき人物を刺激するできごとがおきていて…
ということがあって、おまけに、もうひとつ、「うひゃあっ」って感じの情報もあって、あれま、ほんと、「生霊のたたり」って書いてしまえばその一言で説明がつくわ!

という状況なのですが、はっきり言って、書いている本人は実はそういうことは信じていません。
いえ、まったく信じていないかっていえば、「あたらずといえども遠からずだし、対応策も対処法もすべてまっとうで、あるいは、深く信じ込んで、霊能者のところにいってお祓いしてもらっても、問題は解決するだろうなあ」とは思っています。

というのは、深遠な真実はあまりにも深くて複雑で、凡人の理解をはるかに超えているから、それを、心理学だ、深層心理だ、科学だ、量子力学だ(!)、波動の法則だとかで説明しようとするととっても大変なことになってしまうから、これを比喩的に簡潔に述べた「生霊のたたり」という言い方はそれなりに意味があるかと。

でもさ、この世の中はわが想念が生み出している幻であって、すべては空の空であるとか、人はすべてわが身の写し鏡であるとかいいう考え方からすれば、もし、この世の誰かが私に恨みを持っていて、生霊となって私のところに来ているということは、その生霊の行為からして、私自身の映し鏡であって、とどのつまり、私だって夜な夜な生霊になってさまよいあるいているかもしれないわけで(←冗談です)実に無意味な理屈だと思う。

ただ、急に肩が軽くなって、その後、急にいろいろなことがきちんと回り出して、住んでいる世界が一気に明るくなって、心が軽くうきうきなってきて(←ってことは軽いうつ状態ってのもあたっていたわけか!)、それで気がついた。

私、物心ついた3歳半の頃からこっちずっと…あるいは、誰にでもあるであろう怖い思いをした最初の記憶がある4歳くらいのころからずっと、ずっと、ずっと、「私」と「あの人達の世界」と垣根を作って、「あの人達の世界」から自分自身を完全に閉め出してきていたことに気がついた。よくエセ心理テストとかで、「壁を想像してください。どんな壁ですか」っていうのがあって、「壁の高さはあなたのプライドの高さです」とかいうのがあるけれど、私の壁は、いつも高くて逃げ出すことができないお城の城壁。天辺が見えないくらいに高い。これは、私のプライドの高さではなくて、「私」とうっかりすると家族すら含めた世間一般の人達を隔てているたか~いたか~い垣根。幼稚園の時にはもうこの垣根があったと記憶している。この垣根、私が自分自身で作り出して、他の人と私を完全にへだてて、ひとりで「あ、私って場違い」ってずぅっと思っていたのですね。日本人の私が日本でいつも場違いな思いをしているのはつらすぎるから、気がついたらいつもいつも場違いでも外国人だからゆるされるアメリカにきて、でも、長年住みつくとやっぱり場違いになるから、すぐに逃げ出して…

ああ、これが私にとりついていた生霊の正体か。ま、だれかさんの格好で現れてはいたがと思った次第。