昨日、用事があって会社を早めに出て、んで、時間があまっちゃったのでちょっと入ったカフェで食べてスィーツの名前がチョコレートデカダンス。
ものすごっく幸せなデカダンスな味かもしれない。ここ3日くら甘いものをまったく食べてなかったんだっけ。あ、ブルーベリーは食べたけど。
同僚もまったく同じコーヒーを頼んだのにカップが違う!
席からはケーキの写真がうまくとれなかったので、あとでとろうと思いつつ、忘れちゃったからお店の写真はこれだけしかなくって...
以下、昨日の続きのひとりごと
ものすごっく幸せなデカダンスな味かもしれない。ここ3日くら甘いものをまったく食べてなかったんだっけ。あ、ブルーベリーは食べたけど。
同僚もまったく同じコーヒーを頼んだのにカップが違う!
席からはケーキの写真がうまくとれなかったので、あとでとろうと思いつつ、忘れちゃったからお店の写真はこれだけしかなくって...
以下、昨日の続きのひとりごと
昨日、なんか、書いているときに忘れているような、なにかが足りないような気分になっていて、もう一度考えていて気がついた。
同僚の意向を尊重して私が身を引くということはすなわち...
いや、その前に、このいつもの私のパターン。
私がいけない。私がいなければすべてがうまくいく。私が生まれてきたことが間違いである。。。
これは観念だからとろうねとさとるさんにいわれて、そのワークは一緒にしたのだけれど。
だから、残っていたのは、観念というより、私を元の状態に引き戻そうとする私の思い癖にほかならないのだけれど...
つまり、私は、生まれてこの方、自分のことを認めていなかったことになる。
そうか、人のほうが私より大切だとずっと思っていたけれど、それをしていたとき、私は、この世に生まれてきた私というものを、完全に否定してきていたのだなあと。
そうか、私は、祝福されてこの世に生まれてきたのに、ずっと、わが身をうらんで、「私は生まれてきてはいけなかったんだ」ってずうっとずぅっと、無意識のうちに思っていた。
つまり、私が否定し続けていたものは、ほかならぬ私自身。
そして、私の大切な心ちゃんのことを、今まで、ずぅっと、ずぅっと否定し続けていたのだなあとやっと気がついた。
そうか、さくさくと仕事をして、さくさくと日常生活をこなして、さくさくと暮らして、幸せになってよいのだなあと。
そして、いままで私を押しつぶしそうになっていた不安感が、実は、私の思い込みにすぎないということが、少しずつ見えてきた気がする。
この不安感とネガティブな観念が、ほん、としての1%くらいの事実というか真実を、ものすごっく脚色して、99%分の 「現実という名の幻想」を作り出していたのだなあと。
士気即税空←れれ、漢字が出てこないがまあいいか。どうせ、正式なことはわかっていないから。
でも、一切が空とはよく言ったものだと思う。
そして、下書きにしてあった記事をアップしようして、今朝のことを思い出した。
私、私の心ちゃんに、ずっといろんなことをがまんさせてきた。
子供の頃から、姉とけんかをすると「お姉ちゃんが悪い!」といい続けていた。
心の中では、ずっと嘘だと知っていた。っていうか、嘘だとおもっていた。いつもや
さしいお姉ちゃん、けんかの原因はささいなことで、たいていは私のわがままである。でもね、くやしいからいっちゃうんだよね。年上でなんでもできるお姉ちゃんにむかって、「おねえちゃんがわるい」って。
で、気がついた 。私、子供の頃からずっと、「お姉ちゃん」みたいなのが正しいと思っていたんだ
な。
まじめで、良い子で、親のいうことをよくきいて、家事もお手伝いして、妹の面倒もみて、学校の成績がよくって、ちゃんと勉強して、陸上とか水泳大会とかでもいつも上位で、英語のスピーチコンテスト(←当事の妹にはさかだちしてもできなかった)とかのもでちゃって、んでもって、すらっと背がたかくてほっそりしてた(←甘いもの大好きの私はチビデブを自称していた。実際にはふとってはいなかったけど、筋肉質で体重が人より重かったから)。
だからずっと、ずっと、 「まじめでいい子で、いい人にならないといけないんだなあ、それができないわたしは…」と思い続けていた。
楽しいこと、ステキなことは、がまんしなきゃいけないんだと思っていた(←実際にはやりたいことはやっているが、でも、罪悪感があった)
そうか、ずぅっと、ずぅっと心ちゃんのことをおさえつけて、「だめっ」て言って、いろんなことをがまんさせていたんだね。ごめんね。
もう、がまんするのはやめようね。
同僚の意向を尊重して私が身を引くということはすなわち...
いや、その前に、このいつもの私のパターン。
私がいけない。私がいなければすべてがうまくいく。私が生まれてきたことが間違いである。。。
これは観念だからとろうねとさとるさんにいわれて、そのワークは一緒にしたのだけれど。
だから、残っていたのは、観念というより、私を元の状態に引き戻そうとする私の思い癖にほかならないのだけれど...
つまり、私は、生まれてこの方、自分のことを認めていなかったことになる。
そうか、人のほうが私より大切だとずっと思っていたけれど、それをしていたとき、私は、この世に生まれてきた私というものを、完全に否定してきていたのだなあと。
そうか、私は、祝福されてこの世に生まれてきたのに、ずっと、わが身をうらんで、「私は生まれてきてはいけなかったんだ」ってずうっとずぅっと、無意識のうちに思っていた。
つまり、私が否定し続けていたものは、ほかならぬ私自身。
そして、私の大切な心ちゃんのことを、今まで、ずぅっと、ずぅっと否定し続けていたのだなあとやっと気がついた。
そうか、さくさくと仕事をして、さくさくと日常生活をこなして、さくさくと暮らして、幸せになってよいのだなあと。
そして、いままで私を押しつぶしそうになっていた不安感が、実は、私の思い込みにすぎないということが、少しずつ見えてきた気がする。
この不安感とネガティブな観念が、ほん、としての1%くらいの事実というか真実を、ものすごっく脚色して、99%分の 「現実という名の幻想」を作り出していたのだなあと。
士気即税空←れれ、漢字が出てこないがまあいいか。どうせ、正式なことはわかっていないから。
でも、一切が空とはよく言ったものだと思う。
そして、下書きにしてあった記事をアップしようして、今朝のことを思い出した。
私、私の心ちゃんに、ずっといろんなことをがまんさせてきた。
子供の頃から、姉とけんかをすると「お姉ちゃんが悪い!」といい続けていた。
心の中では、ずっと嘘だと知っていた。っていうか、嘘だとおもっていた。いつもや
さしいお姉ちゃん、けんかの原因はささいなことで、たいていは私のわがままである。でもね、くやしいからいっちゃうんだよね。年上でなんでもできるお姉ちゃんにむかって、「おねえちゃんがわるい」って。
で、気がついた 。私、子供の頃からずっと、「お姉ちゃん」みたいなのが正しいと思っていたんだ
な。
まじめで、良い子で、親のいうことをよくきいて、家事もお手伝いして、妹の面倒もみて、学校の成績がよくって、ちゃんと勉強して、陸上とか水泳大会とかでもいつも上位で、英語のスピーチコンテスト(←当事の妹にはさかだちしてもできなかった)とかのもでちゃって、んでもって、すらっと背がたかくてほっそりしてた(←甘いもの大好きの私はチビデブを自称していた。実際にはふとってはいなかったけど、筋肉質で体重が人より重かったから)。
だからずっと、ずっと、 「まじめでいい子で、いい人にならないといけないんだなあ、それができないわたしは…」と思い続けていた。
楽しいこと、ステキなことは、がまんしなきゃいけないんだと思っていた(←実際にはやりたいことはやっているが、でも、罪悪感があった)
そうか、ずぅっと、ずぅっと心ちゃんのことをおさえつけて、「だめっ」て言って、いろんなことをがまんさせていたんだね。ごめんね。
もう、がまんするのはやめようね。
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美味しいでしゅよねぇ~~ あっしはダ~クのを頼んでますが・・・
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