忘れないうちに...と本日二回目のアップ。
もう、整理済みの写真がないからこんな適当ごはんの写真で…
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自分用の日記なので、どうしようもない自己中の僭越な内容です。
適当にスルーしてください。

ここ数日、ざめざめと泣いていると書いたけれど、強い怒りを伴わない、お腹なり胸の筋肉を使った強い笑いや悲しみというのは、過去からたまって燻っていた感情の虫干し・お洗濯というか、昇華であって、悪いサインでないということは頭ではわかっているし、泣いたり笑ったりした後にすっきりすることから考えて、体でも、浄化のサインなのだと知っているんだろうとは思うが、なんせ、答えが不明なのがとても気になっていた。

この謎を解くヒントは、幼稚園の時の思い出。この間、書いたっけ?
幼稚園でかまぼこ板ボートで玩具を作ってプールで遊ぶ時に、一人ひとりにくぎが配られているんだけど、私の釘をほしがった男の子がいた話。

数本は分けてあげて、あげる度に、「もう一本!」と言われて、これ以上あげたら私が遊べなくなるというところで、「もうダメ」と言ったら、「ケチ」と言われてとても傷ついた記憶がある。
「こんなにたくさんあげたのに、どうして私がケチと言われなければならないの!」と。

このエピソードと、これ以外にも家族の中でねこっかわいがりされた、母方の祖母にとっては、最後に、最年少の一番体が弱くて助かるかどうかわからずに、大切に大切に育ててもらった孫という位置づけもあって、+親せきやその他の知り合いからも比較的かわいがられたという経緯もあって、私が100%犠牲になるのでない限り、あるいは、私がこの世の中からいなくなるのでない限り、私は人のことを幸せにすることはできないという図式が、4歳くらいの時に出来上がってしまったらしい。

前に、鹿児島のさとるさんのところに行った時、似たような観念が出てきたけれど、これは、「私は周りの人を不幸にする」というものだった。

似ているようだけれど、ちょっと違う。

その後、斎藤一人さんのYouTubeに夢中になって、人がこの世に生まれてきた目的は、「幸せになること」「人に親切にして人の心を明るくすること」という教えに至極納得した。

天国言葉もいいなあと思った。「私は愛と光と忍耐です」と唱えて、「忍耐」というのは、心をいつも明るい光の部分に置いておくのだよ。という部分にもすごく納得した。

なのに、ここ数年の、私を取り巻く状況がここに来て一気に悪化している。
どれほど「幸せになる覚悟」をしたつもりになって、毎日笑顔で過ごそうと思っても、毎日、毎日、心折れそうなことが起きる。
毎夜、そういうことか、と、心穏やかに、すべての人に感謝して眠りについても、翌日には状況はさらに悪化している。

「なぜ、なぜ、なぜ」と考えつつ、仕事面では、完全に爆発した。
ある意味、現在、ストライキ中である。

そして、いま、ボールは私の側にある。

閑話休題

私のおなかの中に、「私が幸せになると他の人が不幸になる」という図式が出来上がっている以上、何万回、一人さんの天国言葉を唱えたところで、私の世界では「幸せになること」と「人に親切にして人の心に灯をともすんだよ」という二つは両立しない。

過去、いったい、何回、「私がいなければみんなが幸せになる。あの人は仕事を失うことにならない」という思いに駆られて、仕事を辞めてきたことだろう。

私が仕事を辞めても、元いた職場の問題が解決することは決してなく、転職先で、必ず、同じ問題が発生した。だから、これは、私の問題だから、逃げてはいけないと思いつつ、どこまで逃げても逃げてもおいかけてくる問題にげんなりして、もう耐えきれないからやはりもう一度逃げようと決心したのが数日前のこと。

そうだよねえ。私が幸せになれば、周りに人が不幸になるって思い込んでいるんだからさあ。
んで、私には、実際に、自分のおなかの思いにしたがって周りの出来事を引き寄せる力があることは過去の出来事が証明しているわけであるからして...

この思い込みがあれば、そして、斎藤一人さんの天国言葉で、私が、日々、毎日毎日幸せになっていけば、周囲との軋轢が悪化するのは当たり前だよねえ。
まったく、この思い込みで、完全にドツボにはまっていたわけか。

と、そこまでわかったのはいいが。

現在、ストライキ中の身。この答えがわかった今、さて、どうしたらいいんだろうね。
いや、幼稚園の頃からの私の問題はもう一つある。

私、(周囲の人が見たら嘘だと思うし、言うだろうけれど)本当のところ、本音で自分のやりたいことやしたいことを主張したことがないんだよね。

「今の状況はもう嫌です。仕事を干すのなら、仕事を変えてください。変わるなというなら、仕事をください。」とはっきり言おうと思う。
そうすると、ボールはあちらのコートに投げられるわけだから、あとは、向こうが決めることさ。

上がどんな決断をくだそうと、どんな仕事が来ようと、おいらの知ったことじゃあない。

いつも、言われる度に耳をふさいで逃げ出していたけれど、初対面の、仕事のできるお偉いさんから、「お噂はかねがね...」と言われる自分の力を信じよう。
私は、通訳でも食べていけるし、会計士の仕事に戻ったっていい。短期のつなぎなら翻訳の仕事だってその気になればできる。一番好きなのは、データベースの管理構築とソフトのサポートだけど。
それでも、「君の仕事はこの会社にはない」と言われたら、転職すればいいや。

今住んでいるところうっぱらって田舎に引きこもれば、どんな仕事でも食べていけるでしょう。

あ、幼稚園のエピソードは、私が生き残っちゃう気の強い部分も示しているんだよね。持っている釘を全部あげることもできたけれど、自分が遊びたい最低限の部分は譲らない性格!

だから、この部分が出てくると、「あんたはどこに行っても生きていけるよ」と嫌味をいわれるんだよね。